頑張らないなんて、こわくてできない。

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言いたいことは、すっごく納得したってこと。
愛ちゃんの考え方がよくわかる。
最近、自分の抱えていたもやもやが言語化されました。すぱーん。
私の、「話を盛っちゃう癖」の根源はコレかー!てかんじ。

 

たいして難しくないテストに不安も感じていないくせに、「やばい」と言わずにはいられず、
こんなにもレポートが大変で終わらない、とアピールしてしまう。


漫画『うつくしい子ども(第68回ちばてつや賞入選)』春田りょうさん作
アル中で鬱の母親から虐待を受けつつも、一心不乱に勉強する愛。
ひどい言葉をぶつけられても幼い弟が死んでしまっても、未来をつかむため、愛は切実に努力を続けていく。

近所の暖かい大人、徳ちゃんの「許されるための努力をしなくたっていいんだぞ」という声掛けに、愛が返した言葉。

 

「頑張らずに生きるなんて、そんなのこわくて出来ない」

 

わかる。
頑張ってないと、生きていていいか、分からない。

この話が描いているのは、価値の否定だ。
人の存在価値。
それを親に肯定しもらえなかったこどもは、自分自身で肯定するしかない。

 

テストで満点取れない私に、価値なんてない。
そう思ってた中学生のころ。お母さんが褒めてくれないなら、98点なんてただのゴミだ。
私は今だって変わってない。
いい会社に入れれば、お母さんは、私を認めてくれるだろうか。

 

そんなこと、している場合じゃない。
自分で自分を肯定しようとしているからこそ、愛ちゃんはかっこいい。

 

頑張っていないと、ダメなんだ。
だけど私は頑張れないから、頑張っているふりをする。

 

それはすべて、他者からのまなざしを意識していて。
もっと言うと、すべての他者は、お母さんの代わり。
お母さんに認められたくてしていたコミュニケーションから抜けることができない。

 

それが結局、「盛り癖」に繋がっている。

 

自分のさばいているタスクの大きさへの
認知が歪んでいると気づいてから、不思議でならなかった。

なぜ「大変そうだね」と言われると少しだけきもちいいのか。ほっとするのか。

 

奥に潜んでいたのは、「頑張らなければ生きてはいけない」という価値観だった。
愛ちゃんは本当に頑張っていて、うつくしい。

 

「ふりでも頑張っていて大変であること」を免罪符にしている私は、きたない子どもだろうか。